京都建仁寺と俵屋宗達
建仁寺といえば、俵屋宗達の風神雷神図である
このお寺鎌倉時代の建仁二年(1202)に開いている。開山(お寺を開くこと、人)は栄西禅師、開基は源頼家。禅寺としては京都最古だそうです 開基とは、開山と普通同じ意味で使われるのですが、禅宗では財政的支持を行う世俗の人という意味で開山と分けている
栄西禅師
14歳で比叡山に入山して天台宗を学んだが、中国、南宋の禅宗の繁栄ぶりを目の当たりにして禅宗を学ぶことを決意。日本に禅を広めた方です お茶を中国から持ち帰り栽培を奨励して、喫茶文化を定着させたのでも有名で「茶祖」と呼ばれているそうです。頂相の絵を拝見すると優しそうで穏やかな感じがします
風神雷神といえば俵屋宗達
現在は京都国立博物館に寄託されています。建仁寺には代わりに高精細デジタル複製が存在する。海北友松の龍も同じように複製で展示されていますが、本物のような迫力なので必見
モチーフと模写
このモチーフ、古くから仏教美術(敦煌石窟の壁画など)で使われていて2体を一対で描くことが定番のようですが、日本では強いイメージの力士風に描かれています。有名なものは三十三間堂の国宝、木造の風神・雷神像
俵屋宗達も参考にしているのは間違い無いようです。後々に尾形光琳や酒井抱一など琳派画家たちも描いていますが、俵屋宗達の絵を模しています
何と言ってもユーモラスなまんまる目や緩やかな曲線のまゆ、角や牙があるのだが、なぜか人間的であまり怖くない、憎めない
三十三間堂の木像と比較すると
比べてみよう。三十三間堂にある木像(鎌倉時代)と俵屋宗達の絵(17世紀前半寛永年間の作と言われている)
すぐわかりますね
三十三間堂木像は、まさに鬼の形相で見る人に畏敬や恐怖の感情を与えて強さを誇張する感じが出ている 俵屋宗達の絵は人間的で柔らかで、ふと心なごんでしまう
どんな思惑で描いたのだろうか
臨済宗妙光寺にあったものを高僧が建仁寺住職に転勤になるときに持って行ったと言うのだが・・・ 普通に考えると武士政治が始まったばかりの鎌倉時代はとにかく強さを誇示するものが受けたのだが、江戸時代も初期になると終わりを告げた戦国時代の記憶を捨てて、もっと普通の人間本来の豊かな感情を表に出したものを好む傾向になったということか
緩やかな曲線や斬新な色がデザイン的でモダン(江戸時代の絵に変な表現だけど)なセンス、表情から感じる本来の人間の喜びなどの感情
この絵、今でこそ有名だが当時はあまり記録に出てこないそうだ。しかし一部の高僧など位の高い人達は今までとは違う何か・・を、感じ取ったのだと思う
- FirstDrafts:2018.05.13
- Update:2025.05.14 Now:20:23