29欽明天皇 20250501
提供:UselessNotes
日本書紀下巻
- 漢字が入ってくる。史実が多くなる(正確さが増している) - 中央集権化が進む。藤原氏のための日本書紀 - 藤原氏は巧みに古事記や日本書紀、風土記などに自分たちの都合の良い記述を増やしていく - 不比等の常陸の国国司赴任719年で日本書紀完成の時期に近い。したがって常陸の国風土記への追記修正も自由にできた? - 大日本史を光圀が書いたのは、当時水戸藩には歴史書がなかったかこともある
29欽明天皇(539~571)
- 仏教受け入れた天皇。 以前は儒教があったが宗教としてというより教育として受け入れた - 古墳変化 - 5C石棺〜6C前期 横穴式石室(朝鮮から伝わってきたが朝鮮はレンガが多かった) - 当時は天皇と読んでおらず「大王」
- 山城(やましろ)
- 山背>山城(やまき)>山城(やましろ)
- 城(大規模)ー柵(小規模)
- 即位と同時に側近
- 大伴金村大連(おおとものかねむらおおむらじ)
- 物部尾輿大連(もののべのおこしおおむらじ)
- 蘇我稲目宿禰大臣(そがのいなめのすくねおおおみ)
- 蝦夷や隼人が帰順してくるが、蝦夷は平安までかかる
- 「戸籍」が初めて登場。帰化人を登録していた
- 秦人(はたひと)や漢人(あやひと)を各地に配置していた
- 秦伴造
- 古墳
- 前方後円墳 〜7C前半まで
- 群集墳に切り替えてくる 6C末〜7C 墓が作れなくなり以前の墓を掃除して代わりに壁を装飾した
- 虎塚古墳の前には横穴500穴
- はにわ生産停止 6C末
- 大伴の失脚
- 物部氏の告げ口?がそもそもの原因
- 蘇我稲目宿禰大臣
- 娘が七男六女。子どもが多いことは繁栄の源というのがわかる
- 日影皇子(ひかげのみこ) 部分は古事記を移した
- 竹簡(中国) 日本は古代に竹はなかったので木簡だった
- 聖武天皇時代 道鏡は下野に流される
任那復興の機運
- 最戦前の新羅と任那の中間にいた人たちが戦争をやる気なかった
- 聖明王が提案から局面が変わった
- 百済は丈六(じょうろく:1m60位の立像)の仏像を造った
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