来るべき民主主義

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6月16日(日)

本の感想を勧めてくれた方へのメール一部

「さっそく、まずは哲学者國分功一郎さん「来たるべき民主主義」を読みましたが、とても勉強になりました。年齢の割に世間知らずということでしょうが、主権者たる国民が政治に関われるのが立法府のみでこれを民主主義というのはおかしい。生活に密着する多くの決定は行政機関でなされる事が圧倒的に多い。行政が道路を決めたら反対するすべもない。住民に説明するだけでよい、了解をとる必要がない。というのです。

署名を集めても住民投票を議会は拒否できるし、住民投票までたどりついた小平市の事例は町長が後出しで投票率が50%を超えないと開票しないということにしてしまったそうで否決に至ります こういう理不尽?は許せないのですが現在の政治、行政の仕組みではなんともし難いのですね

國分さんは住民投票に直接関わって、中沢新一さんや道路によって分断される雑木林の自然観察団体とも連携するなど、哲学者でありながら社会的な問題に関わっていらっしゃることがよくわかりました。社会学というのは、社会の仕組みを分析してよりよい方法を提言していくと自分は思っています。ここでは議会制民主主義は否定せずに住民投票制度を追加してよりよい民主主義を実現していく方法を提言していました。実現できればとてもすごいことです 私のお気に入りの成田祐輔さんも「22世紀の民主主義」という本を出していて経済学者でありながら社会学的な発言を繰り返してます。上野千鶴子さんもですが何故、社会学者は発言が過激になっていく傾向があるのでしょうね

長文になってしまいますが 6/13授業で紹介されていた、フロリダ州で女子スポーツからトランスジェンダーを排除するという演説をするYouTube映像「我々はイデオロギーではなくて生物学的違いでスポーツをする」は見方を変えれば潔い切り捨て方なのですが言葉に私はとても違和感を感じました 特にイデオロギー(主義主張や思想)という言葉で表現されると、途端に遠くに言ってしまう気がしました。個人的な感情や感覚が関わっていてセンシティブな問題。例えば男性や女性のトイレにトランスジェンダーの人が入ってくるのが嫌だという人がいるのは頭では差別とわかっていても感覚的な問題だと思う。スポーツの世界は通常のセンシティブな問題に加えて、ドーピングなどと同じで競技に不公平感(そもそもこれが差別)がつきまとうのが、スッキリしないところです」

感想文としてメモ