第二の啓示の意味するもの
科目名 イスラムの歴史と文化 2022 年 7 月 29 日
ムハンマドにとって「第二の啓示」の意味するもの
1.啓示
「啓示」は、人々に示す神の言葉(カリマ)である。商人だったムハンマドが40才の時、マッカのヒラー洞窟で初めての啓示を受けて以来、没するまでの23年間に数多くの啓示を受けているが、イスラームの教えの基本となるものがマッカにおける四つの啓示である。
超越神と預言者(第一の啓示) ・神は唯一であること。人間を絶対的に超えた存在で創造の神である ・ムハンマドは神の預言者であり使徒(ラスール)である。預言者とは神と人間の仲介者として神に選ばれ、神の言葉を預かって人々に伝える役割を与えられた神の使徒である
終末の警告(第二の啓示) ・「最後の審判」が迫っている。審判により正しいものは来世は楽園へ、悪なるものは地獄行きとなる。神の御心に適うように正しく生きること ・ムハンマドは終末が来ることを人々に警告する者になること イスラームの教えの出発点であり義務(ファルド)はここから始まる。「最後の審判」で正しい者とされるためにしなければならないことが「義務」である。
第三の啓示;神に感謝し「神に対する義務を果たしなさい」→信仰や感謝の証である「礼拝」を「義務」とする。第四の啓示;「善行のすすめ」→「終末に備えよ」「弱者への善行」の奨励で「定めの喜捨」(ザカー)、とりわけ弱者への寄附は「義務」である。
2.クライシュ家との対立
当時マッカを支配していたクライシュ家の宗教観や価値観は (1)ただの商人であるムハンマドが神の言葉を伝える「神の預言者 使徒であるはずがない」; (2)富と力を持っていることに価値がある; (3)アラビア半島の三女神(多神教)を信仰する;
イスラームの教えは以上をすべて否定した。 またムハンマドは以前からクライシュ家、アラブ社会の考え方や悪習である (1)貧者や弱者を冷遇する; (2)商売成功者の享楽的な生き方; (3)女児を殺す悪習;などを批判していた。
3.迫害と移住
クライシュ家、当時アラブ社会とイスラームの教えが対立したため、厳しい迫害を受けた。また619年には保護者で後ろ盾であるハーシム家の叔父アブド・ターリフや最愛の妻ハデイージャが亡くなり、結局マッカでの布教をあきらめマデーナへの移住を決める。しかし、この移住はその後の大きなイスラーム世界発展の大転換点になった。
4.考察
マッカで生まれたムハンマドは当時社会の弱者への扱いや悪習に対する批判を以前から持っていたと言われている。第二の啓示は弱者への救済や悪習の排除というムハンマドの決意の背中を強く押したものと推察する。また、最後まで対立する宗教観や既得権益社会と対決することが出来たのは、預言者として突き動かされた神の力はもちろんのこと、ムハンマド自身の社会批判や改革意識も反映していることであったからなのだ。またイエスキリストを神格化したキリスト教と一線を隔す様に自身は人間だと主張していることと関係があると考える。 超越神であるアッラーの啓示がなぜ個人的な想いと一致する部分が多いのか?は若干個人的に腑に落ちない部分だが、「神の言葉を理解できる人間を預言者に選んだ」と推察することで個人的に納得する。 以上(1,388文字)
Works Cited(引用文献) 小杉泰,YasushiKosugi.「イスラームとは何か その宗教・社会・文化」, 2000 .12.12第12刷, ウエブサイト,The Religion of ISLAM,https://islamteligion.com,預言者ムハンマド伝
2025.05.14