肥前国風土記20220217
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肥前国風土記
崇神天皇
- 毛野氏を東国平定のために使した。軍人集団
- 上毛野氏、下毛野氏に分かれ前者が上野国(こうずけ)、後者が下野国(しもつけ)になった
東国=関ヶ原より東側。愛知県も東北
肥前国
- 肥前>火前
- 佐賀県、長崎県、熊本の一部
土蜘蛛が抵抗していたので健緒組(現在の武雄山など)を使わす
- 白村江の戦い
- 古墳時代 鎧
養父の郡
- 養父(やぶ)>犬の声止む
- のちに景行天皇も訪れている
物部の郷
- 神の名前を物部経津主(ふつぬし) 日本書紀に出てくる
- 船帆
- 天皇の御船の掟。石4個現存する
- 子宝、雨乞い
佐嘉の郡
佐嘉>佐賀 ヤマトタケルが来た時に一時「栄えの国」と名乗っていた
杵島ぶり 踊りのこと
- 佐賀県に杵島の山
- 行方郡にもある
- 九州の人が来ていた証拠。装飾古墳が証拠
- 潮来 おおう大生(=九州の多氏) 古墳がたくさんある、しかし大和と系統が違う
前方後円墳の作り出し
- 九州にあり大和朝廷とは違う
- 埴輪も石人、石馬
- 九州装飾古墳と同系統のものが関東でも茨城が一番多い。なぜか?
ひれ振りの峰
- 弟日姫子と蛇 赤い糸>三輪神社と大物主がつながる
- 現在でも弟日姫子の墓が残っている
- First Drafts:2024.10.18
- Update:2025.05.14 Now:23:49