讃容の郡20211007
提供:UselessNotes
讃容の郡
五月夜 さよ
- 大神妹夫(いもせ)二柱 =伊和大神が国占める時
- 玉津日女命(いもたまつひめのみこと)が生きている鹿の腹を割いて稲の種をその血に蒔いたら一晩で苗が生えたので、取って植えさせた。大神が「五月夜(さよ)に割いたことよ」から
苗付け
- この話は種付けからだが、苗付けから日本に稲作が伝来
吉川えがわ
- 元は玉落川たまおちがわ。中国からの伝来で漢字2文字が縁起が良いとされ、この時代から二文字に変更した。朝廷からの指示
伊師
- 川の底が床のようだった。だから伊師。?
凍野こおりの
- 広比売命ひろひめのみこと が占有した時に、地が凍った
- 一時的な寒冷?ありえない表現だが、事実起こったことをデフォルメか一部違って伝わった結果だが、ここから事実があることは忘れてはならない
邑宝(おお)の里
- 「井」を開いて干し飯を召し上がって「私は多(おお)くの国を占有した」から「大の村」と言った
- 「弘法井」と言って茨城県に10箇所ある。弘法大師がおとづれた杖をついたところに井戸が湧き出るという伝説を拠り所としている
- 名前の付け方はこのように、なんということもないいい加減な理由
筌[うえ]戸
- 魚を獲る道具のこと。長くてどじょうを獲る道具。「ウケ」
蝦夷の刀
- 茨城県は多い。6c。蕨手の刀
- 常陸太田、八千代、古墳、桂村
中川(なかつがわ)の里
大仲子と神功皇后が韓国に話が出てくる。船が淡路の石屋で停泊 「おおなかつこ」から来ている
宰(みこともち)]
のちに国司となっていった
弥加都岐(みかづきはら)
仁徳天皇の世に、伯耆のかぐろと因幡のおおゆことが清酒で手足を洗っていた お咎めあり。@清酒は御神酒として神事に使われていたためと思う
宍宋(しさわ)の郡
- 伊和大神(いわのおおかみ)が国を作り固め終えた頃、舌を出した大きな鹿に出会った。「矢は鹿の舌にある」。この神様。ここによく出てくる
波加はかの村、御方みかたの里
- 大神(瓊瓊杵尊)の妻である木花咲耶姫の話や、天日槍命の話が出てくる。@天日槍は伊和大神と組んで国を作ったらしい
- アメノヒボコは、記紀等に伝わる朝鮮半島の新羅からの新羅人または渡来神
- 比良美(ひらび)は着物のこと
- 月のうさぎがついているのは「脱穀」。餅つきではない
- First Drafts:2021.10.07
- Update:2025.05.15 Now:00:52