歴史に学ぶMay 22, 2023
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歴史に学ぶMay 22, 2023
これまでの授業のポイント
- 1回 現代との「感覚」の違い。@生命に対する考え方など
- 2回 どのようにして「戦国時代」を終わらせていくのか
- 織田信長→「権威(足利義昭、朝廷)」を活用
- 豊臣秀吉→「権威(朝)」を活用した秩序、潤沢な資金確保
- 徳川家康→「天下」はすべての人のため
- 3回 法と儀礼による支配
- 武家諸法度、禁中並公家諸法度etc.庶民へは「触書」お触れ書き
- 4回 参勤交代
- 幕府にとっては、大名の服属を示す儀礼
- 大名にとっては、家の権威を見せる絶好の機会
- 5回 インフラの整備→全国統一の基礎条件
- 陸上---街道、宿駅などの制度整備
- 海上,水上---航路設定と河川付け替え、運河開削
- 都市基盤の整備---水道、火除地などの都市計画
- 6回 限定されていた国際関係---4つの口
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「徳川の平和」の条件
- 徳川家の圧倒的な武力を前提とした「法」の支配
- 将軍に対する「儀礼」を前提とした精神的服従
- 将軍が決める様々な格差
- 他国の侵略がなかった
生命観の変化
- 命を大切にするーむやみな殺生をしないー
「死」の感覚の変化
- 戦国時代の感覚は・・・(第1回資料「おあん物語」から)
- 味方が取った首が天守へ集められて。それぞれに札をつけて覚えおき、再々首にお歯黒を付ていく。
- それはなぜかというと、昔は「お歯黒首」は、「よき人」として賞玩した。それ故、しら歯の首は、お歯黒付けて給はれと頼まれていたが、首も怖いものではない。その首どもの血くさき中に寝たことであった。
(死に対する慣れ)
- ある日、寄せ手より鉄砲がうちかけられ、もはや今日は、城も落ちるかもしれないと思われ、城のうちは騒がしかった。そうしたところに大人が来て「敵影はなくなった、もはやお騒ぎなされずしづまり給え、給え」と言っていた所へ、鉄砲玉が飛んできて、私の弟(十四歳になっていた)に当たって、そのまま、ひりひりと死んでしまった
- ことの外、城の内
として死んでしまった。(死と隣り合わせ)
人びとの「仁心」を養う
- 5代将軍徳川網吉(1646~1709)の政策
「法」に厳格 儀礼重視
- 網吉の書
- 麒麟と鳳凰
- 理想的な君主が出現して良い政治が行なわれる時に、その印としてこの世に思われるとされる想像上の動物。
1。生類憐 の分
- 5代将軍徳川綱吉により出された一連の法令を指す→生き物、特に犬を粗末にしてはならない。→「犬公方」というあだ名
- ※犬小屋設置・・・江戸内3か所(病犬、野犬収容),中野が最大(当学園の3倍強の面積)
- 護持院の僧侶隆光(りゅうこう)の「後継ぎができないのは、前世で殺生を多くした報いなので、生類を慈しむことが必要。とくに綱吉は戌年の生まれなので犬を大事にしなければならない」という進言が動機?
- 新井白石(6代将軍の政治顧問)「この法で罪に問われた人びとは何十万人もいた。 *少し大袈裟
内容
- 1685年、江戸町内に触れられた「将軍の御成り先で、犬猫をつなぐことは無用」に絡まる総数135に及ぶ法令の総称。
- 内訳は、大関係(33)、馬関係(17)、鳥関係(40)、、その他(45) ※その他には、捨て子、捨て病人関係も含む。
目的
- 畿内の「鉄砲の抑制」「かぶき者の取締り」「野犬公害への対策」「宿場の馬の確保」「仁心の涵養」
- 4代将軍家綱の制作「殉死の禁」「水野十郎左衛門処罰」「町 奴の帯刀禁止」との関連
- 意図..戦国以来の殺伐とした慣習や人々の心の問題を整理するものか?
- 犬については
- 鷹狩の減少(犬を鷹の餌にした)
- 犬を食べる習慣の減少(とくに「かぶき者」が食べたという)
*本当に上を意識していたのか疑問
犬を食べる習慣
- 東アジア、とくに中国、朝鮮、日本でも江戸時代中期まではあった
- ※「羊頭狗肉」 狗=犬 :羊の頭を看板に掲げながら、羊の肉を売らずに犬の肉を売るとの意。看板は上等でも、実際に売る品物がごまかし物で劣悪であること、転じて、見せかけや触れ込みはりっぱでも、実質が伴わないことをいう。
処罰の実態
- 24年間に69例(30例は最初のの3年間に集中)
- 対象・処罰者の3分の2は下級武士。
- 例:「砕って馬に斬りつけた」
- 下級武士(足、中間ちゅうげん、小者*)などは追放、町人無罪。
- 量刑..死刑13件、流罪12件、残りは追放など。
※殺人、放火、密通、詐欺まで死刑にしたこの時代にしては、さほどではない。 *武家奉公人 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6%E5%A5%89%E5%85%AC%E4%BA%BA
死刑の内訳
- 1忌日に吹き矢で燕を射た待
- 2噛みついてきた犬を斬り殺した待
- 3鶏を殺して商売をした町人
- 4鷲を食べた武家の召使
- 5埋めてあった猪の死骸を掘り起こした非人
- 6猪狩りをさせた待
- 7鉄砲を用いて鳥を殺し、その鳥で商売をした与力・同心(11人)
- 8子犬を捨てた辻番*
- 9子犬を放め殺し、恨みある手代の名を書いて紙に包んで捨てた町人
- 10 犬を斬り殺した大工の弟子
- 11鳩を射殺した武家の召使
- 12犬を傷つけた馬医者
- 13犬を斬り殺して近所の店の前に捨てた町人
- *辻番 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%BB%E7%95%AA
2.服忌令 ぶっきれい
- 網吉が貞享2年(1685)に制定...現代の「喪中」の原型
- 「穢れ」の観点から「死」の重大性を認識させる
- 一家のうちに死人が出ると、その家族ばかりでなく、血族も、「その家の火で煮炊きした物を食べた人も、みな穢れの影響を受そのため一定期間は仕事を休み、神前や晴れがましい場所に出ず、静かに家に篭る。喪中の家では神棚(かみだな)を締め、家の入口に簾(すだれ)を裏返しにつるし、自紙に「忌中」と書いて斜めにつける。
- ※「忌」...厳重な慎みの期間(例:父母50日)
- 「喪」.. 忌より軽い状態(例:父母13か月)
- →喪が明けると日常生活に戻る
3. 捨て子の禁止
- 綱吉が元禄13年(1700)に制定。
- 【実例】捨て子はしてはいけない。もし養育できない者は申出よ。(中路) 今後は借地や貸家に住んでいる者で妊娠した者は、大家や地主へ知らせ、流産、死産のときも知らせよ。生まれた子が3歳までに死んでしまった時はその理由を大家、地主に知らせよ
4. 江戸時代の墓制
- (1)一般庶民..「イエ」意識の浸透
- 墓標一寺院が浸透した地域では早くから見られる....戒名,江戸時代中期から広い範囲に見られるようになる---.死者を用う意識の浸透
- (2) 武家・公家など
- 死者の神格化..豊臣秀吉(豊国大明神)、徳川家康...(東照大権現)
- →蒙華な霊廟建築(権威をみせつける)
※ 怨霊への恐術→平将門、菅原道真
- 宗教による葬法の違い
- 水戸徳川家など...儒式→瑞龍山
- 2023-5-25 @up済mw
- Update:2025.05.15 Now:03:51