伝源頼朝像
教科書の源頼朝像
この話は有名な説によるものです。大学
あの源頼朝像は違う人だったの?
鎌倉時代の特徴として肖像画が流行ったこともよく知られています 平安時代後半の美を追求する流行が、人間そのものへ興味が向いてきたというわけです
似絵(にせえ)
ひとつに似絵(にせえ)というものがありました。天皇や宮廷貴族自身の似顔絵です 小さい紙絵のことで、細い線で顔を写し取った肖像画 王朝貴族からしてみれば、武士たちの時代になったことで自分たちの権威が薄れて、もう一度自分たちを見直す必要にかられたのでしょう 我々でも世間や身近な人から無視されたり除け者にされたりすることが、もしあったなら、人によっては自分とはそもそも何物なの、どんな価値があるのだろうか。など考えてしまうこともあると思います
自分の存在を認めてもらいたい!などの欲求にかられるのも無理はないです 貴族たちは、似顔絵を描いてもらって、白く描くことにより(白描というのですが)我々は徳のある人格だと主張した・・など自己表現の手段として大流行しました
「伝藤原信実(のぶざね)作 後鳥羽天皇像 大阪・水無瀬神宮蔵」など
※「伝・・・・」というのは、その人と伝えられている・・という意味
頂相(ちんそう)
もうひとつは頂相(ちんそう)といって禅宗の偉いお坊さんの姿を描いた肖像画です 禅宗では師の肖像画を弟子に与える習慣があったそうです。頂相とは「相(顔)を頂く(いただく)」から来ているそうです 南宋からの輸入品が多かったのですがじきに日本独自のものになっていきます 「蘭渓道隆像(らんけいどうりゅうぞう)神奈川・建長寺蔵」など この頂相の硬い線描などの技術が、かつて教科書にも載っていた「伝源頼朝(よりとも)像」にひきつがれているそうです 教科書に載っていた源頼朝像は実は別の人だった? 違う人を源頼朝だと教わっていたんですねえ。少し驚きました 歴史は新発見があると、ひっくり返ってしまうことがあるので最新の情報を仕入れることが必要ですが、まあ、なかなか難しい でも、まったく違う歴史があったのだと知るのも面白いものです
伝藤原隆信(たかのぶ)作と言われる「伝源頼朝像」「伝平重盛(しげもり)像」「伝藤原光能(みつよし)像」の京都・神護寺三像は、描かれている大きな一枚の絹は当時存在しなかった、とか冠の形が違うとかの理由で鎌倉時代のものではない、違う人だという新設があります
新設は伝源頼朝像に関しては1995年頃ですがまだ結論は出ていないようです
それぞれ南北朝時代の作で「足利直義(ただよし)像」「足利尊氏(たかうじ)像」「足利義詮(よしあきら)像」だという
そのような論議は別にして、それぞれ日本の肖像画史上でも最も優れた品質と評価が高い
学生時代に習ったことですが大恥をかくことがありそうです。用心用心
今はあの源頼朝像は教科書には載っていないらしい
- First Drafts:2017/02/09
- Update:2025.05.14 Now:21:06