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ページの作成:「歴史に学ぶJune 12, 2023 == 江戸の教育方法(前回の続き) == * 「素読」・・・文の意味・内容を考えないで、ただ機械的に文字を音読する。 * 「解釈」・・・文章の解釈を学ぶ。テキストを交互に読んで学び合う。@ここは先生が登場 * 「議論」・・・これまでの「知識」と「経験」をもとに、課題を議論する。 === 3. 日新塾 === ==== (1)創設者・門弟…」 |
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歴史に学ぶJune 12, 2023
江戸の教育方法(前回の続き)
- 「素読」・・・文の意味・内容を考えないで、ただ機械的に文字を音読する。
- 「解釈」・・・文章の解釈を学ぶ。テキストを交互に読んで学び合う。@ここは先生が登場
- 「議論」・・・これまでの「知識」と「経験」をもとに、課題を議論する。
3. 日新塾
==== (1)創設者・門弟 ==== @alt+全角「・」
- 加食井砂山(文化2年(1805)~安政2年(1855))が、茨城郡成沢村の自宅に開いた塾。門弟数は30年間余りに累計1000人以上 @全国から学びにきていたのは驚き。歴史には出てこないの郷士(田舎で武士を名乗る者)だったから?
(2)教育方法
- 輪講・輪読、自由討究(ディベート)など塾生が互いに学びあう教育を重視
- 午前 砂山による質疑応答
- 午後 講義(主要な部分のみ精密に) 輪講・ 輪読
- 多彩な内容・・読本・習字・作誌作文・歴史・地理・窮理・兵学・剣術・砲術・馬術・調錬
- 蔵書・・斉昭から借覧、写本
(3) 軍事訓練
- 武術、砲術など実践的な軍事訓練..塾に調錬場設置。鉄砲15、6丁、馬3頭など備え付け。
- 毎年正月11日...射撃大会を実施 •十万原、德化原での演習
第10回 江戸の旅
- 一何をもたらしたのか?一
現代につながる「江戸時代」
- 「おもてなし」と「サービス」の発達 →「観光」の発展
1. 大名の旅(参勤交代→地域経済の活性化、江戸文化の拡散)
- 江戸時代以前・・領主による「関所」の乱立(通行税を徴収)→交流を阻害
- 江戸時代以後・・関所は警備目的に特化→人的交流拡大→「大名行列」通過のために街道・宿場の整備促進→一般人の交流も容易に
文化12年(1815) 9月13日、土浦落主の例
- 1日目、江戸屋敷スタート(午前1時前)→千住休憩で(午前3時)→金町休憩(午前7時)→松戸本陣→小金本陣昼休(午前10時着11時発)→柏休憩→我子本庫休憩→藤代本陣宿泊(午後5時着)
- ※上野一藤代 約42km 9時間
- 2日目、藤代発(午前4時)→若柴休憩(午前 6時)→中村本陣屋休(午前10時)→工浦城着(午後1時)
- ※大名行列のスピード→平均時速4キロ程度(休憩も含むとかなりのスピード)
(2) 宿場
・本陣・・各宿場に1新、休憩や宿泊に使用。
利用の段取り
- 数十日前までに利用予約→請書(予約受付書)を受け取る
- 当日の前日までに、利用藩の関札役人が大名の姓と官職名などを板や紙に書いた「関 札(せきふだ)」を届け、宿割を先発隊の役人が下見。
- 当日は宿では出迎えと案内、献上を行い、利用者は利用料と心付(チップ)を支払う
- ※ 「関札」は、宿場の入口などに土手を築き、そこに長さ三間から三間半(約5メートル40センチから6メートル30センチ)の青竹を立て、その先端に取り付けた
- ※川止めや藩主の病気など、不測の事態で予定していた宿泊などのキャンセル→宿場や人足などに補償金
@宿泊のルールはすでに江戸時代に確立した
東海道二川宿を福岡藩主が天保8年(1837)に利用した時
- ①宿泊予定の5日前に「関札2枚」が到着、宿場の東西に掲げられた。
- ②前日に宿割役人の下見
- ③当日の午前中に幕と提灯が到着、1里と半里先に見張りを立たせて、到着を待った。
- 本庫に宿泊51人(内37人が2食付、14人が1食のみ)。宿泊料は銀5枚。家臣たちは下宿57軒に分宿(1泊2食412文)、人足たちは日屋宿28軒に分宿(1泊2食280文)した
●本陣のメニュー
- 文政9年(1826) 9月24日、土浦藩主に対する藤代宿本陣のメニュー
- 夕食:皿(大根) 小皿(奈良漬)御汁(青菜) 平 ((卵・なす・干瓢) 焼物(鮭) 御飯
- 朝食: 平(青菜・鮭の切身・山芋)小皿(香物) 御汁(大根) 壷(隠元豆・里芋) 御飯
(3) 途中でも大変
- ●難所 ・・川と峠 「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」
- 紀伊藩・・箱根と大井川を無事越すと、その夜の本陣では藩士に祝いの酒が振舞われた。
- 鳥取藩・・大井川を無善通過すると早飛脚で知らせたものか、江戸藩邸や分家から祝いの書状が届く。
- ・大名泣かせ→人足の乳より上に川の水がくると・・・川止め。宿泊や割り増し料金で、余計な費用→川の少ないコースへ
- ●通過地の領主とのやりとり
- ・通過大名へのもてなし(馳走)・・案内人を出す、無料の渡船を提供する
- もてなしへの返礼・・費用が大きな負担→辞退
(4) 到着しても大変
- 江戸到着・・幕府から「ごくろうさま」の使者→当主が登城して将軍に拝謁→後日土産を献上
- 国元到着・・幕府に無事到着した旨の礼状と使者を派遣、国元の特産物を献上(将軍の前で披露)
(5) コスト(費用はどれくらい?)
- 総額(1両・・米の値段で比較すると4万円くらい・・・下参照)
- 仙台藩・・江戸中期に3000両程度 、鹿児島藩・・享保5年に17520両
- 内訳
- 鳥取藩の例:人足などの人件費43%、馬代25%、諸品購入費20%、運賃7%、宿泊・食費5%
- ※米価から計算した1両の価値(日本銀行貨幣博物館資料)
- 江戸初期で約10万円前後、中~後期で4~6万円、幕末で約4千円~1万円ほど
2.庶民の旅(観光ガイド、ビジュアルなガイドブックが登場)
(1) 江戸時代後半の旅行ブーム
- 伊勢神宮、金刀比羅宮、青光寺、出羽三山などへの参詣を名目としたレジャーとしての旅。限定的ではあったが、江戸時代後半には盛ん
- 「伊勢講」・・講(グループ)を組織してメンバーが金を積み立て、代表者を派遣する(代参)。メンバー全員が参詣に向かう場合もある
幕末、現在の行方市の農民グループ(8人・・・40代後半から50代前半)の例
- 目的地・・伊勢神宮と金金毘羅宮
- 行程と主な見物場所
- 1月23日出発東海道経由,2月7日 伊勢神宮→12日 東大寺、興福寺他(大仏前の宿屋で「案内人」を手配、大坂まで案内で400文)→13日三輪神社、当麻寺(「拝観料」支払い)他→14日 吉野山→15日 高野山→18日 堺→19日 大坂→21日 神戸(「案内人」を依頼)→ 2 6日 金毘羅神社参詣→3月2日 京都(伏見稲荷・東福寺・内裏・方広寺・知恩院・清水寺・泉涌寺・金閣寺・嵯峨野・愛宕山・下加茂神社・比叡山見物)→5日出発中山道経由→20日帰着
(2) 背景は?
- 神社や寺・・「御師(おし)」という営業マンの活動
- 特定の神社や寺院に所属して、参詣者、信者のために祈祷、案内をし、参拝・宿泊などの世話も。
- 出版文化の影響→旅に関する出版物が増える
(3)宿場の発達
- 宿・・木賃(きちん)宿→食事を作るための薪代(木賃)を払う宿
- 代金・・35文から50文、米代は2食分90文から120文
- 旅籠(はたご)屋→食事を出す宿・・上・中・下のランク
- 代金・・二食付き150文から200文
- 飯盛(めしもり) 女を置く宿と置かない宿(平旅籠)
- ※一人旅、女、子ども連れでも安心して泊まれる宿が組織化→ガイドブックも発行
- 東海道の場合、全体で約3000軒の旅籠屋…一つの宿場で250~15軒(平均55軒)
- 旅行の総費用 江戸から伊勢・大坂・金毘羅・岩国に行った場合→86日間で5両余り
- * 1文=1両の4000分の1(1両=4万円だと10円)
(4) 出版文化の発達
- 十返舎一九作『道中膝栗毛』シリーズ
- 「海道中膝栗毛」がヒットー「道中産要も』シリーズとして、21年間にわたり「東海道中膝栗毛』(初編~8編)『金毘羅道中膝栗毛』「宮嶋参詣膝栗毛』『岐蘇街道膝栗毛』『従木曽路善光寺路膝栗毛』『善光寺道中膝栗毛』『上州草津温泉膝栗毛』を発刊
- 名所図絵=ビジュアル版名所案内
2023-06-12授業 mw@up済