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* 参考図書「歴史学研究会編 日本史年表 第5版」2028年2月5日 第2刷発行
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| 2-1 ||  || 草創期 || 約16000年前(約13000年前) ||  ||  ||  ||
| 2-1 ||  || 草創期 || 約16000年前(約13000年前) ||  ||  ||  ||
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| 2-2 || || 早期||  前10000年頃(前7000頃)||  ||  ||  ||
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|  || || || || 縄文海進 ||  ||  ||
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|  || ||  ||184年頃 ||倭国乱れる。長いあいだ盟主なし(魏志倭人伝)。卑弥呼がこの頃、王となる。鬼道につかえ、夫はなく、弟が統治を助けた(魏志倭人伝)。土器が地域の越えて移動が盛んになる。東日本中心に前方後円形墳丘墓が営まれる。西日本中心に前方後円形墳丘墓が営まれる  ||  ||  ||
|  || ||  ||184年頃 ||倭国乱れる。長いあいだ盟主なし(魏志倭人伝)。卑弥呼がこの頃、王となる。鬼道につかえ、夫はなく、弟が統治を助けた(魏志倭人伝)。土器が地域の越えて移動が盛んになる。東日本中心に前方後円形墳丘墓が営まれる。西日本中心に前方後円形墳丘墓が営まれる  ||  ||  ||
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|  || ||  || 248|| *  卑弥呼がこの頃死す。奴婢100人あまりを殉葬する。男の王様を立てるが争ういがやまず誅殺され1000人余が殺されたという。卑弥呼の宗女、壱与(いよ)とも台与(とよ)ともよばれる女が女王となり治まった。@宗女とは==同宗(一族・血縁)の女性、特に後継者と目される女性==を指す言葉
|  || ||  || 248|| 卑弥呼がこの頃死す。奴婢100人あまりを殉葬する。男の王様を立てるが争ういがやまず誅殺され1000人余が殺されたという。卑弥呼の宗女、壱与(いよ)とも台与(とよ)ともよばれる女が女王となり治まった。@宗女とは==同宗(一族・血縁)の女性、特に後継者と目される女性==を指す言葉。この頃から西日本に前方後円墳が出現。竪穴式石室に多数の銅鏡、武器、農耕具が副葬される。弥生式土器の地域色が希薄になった[[土師器]](はじき)が用いられ始めた。  || [[土師器]](はじき)↓(出現)|| [[土師氏]]↓||
* この頃から西日本に前方後円墳が出現。竪穴式石室に多数の銅鏡、武器、農耕具が副葬される。
* 弥生式土器の地域色が希薄になった[[土師器]](はじき)が用いられ始めた。 [[土師氏]] #土師器 ↓(出現) || ||  ||
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|  || ||  || 266|| 倭の女王(壱与?)が西晋に朝貢(日本書紀神功紀など)。この後は413年まで中国の史書に倭の記述は見えない。@欠落した4世紀 ||  ||  ||
|  || ||  || 266|| 倭の女王(壱与?)が西晋に朝貢(日本書紀神功紀など)。この後は413年まで中国の史書に倭の記述は見えない。@欠落した4世紀 ||  ||  ||
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|  || ||  || 3世紀後半〜|| *  全国に前方後円墳が造られれる。@前方後円墳は地方豪族は許可制だったらしい #前方後円墳 ↓(出現)。
|  || ||  || 3世紀後半〜|| 全国に前方後円墳が造られれる。@前方後円墳は地方豪族は許可制だったらしい。日本で[[銅鏡]]の製造が盛んになる。古墳の墳丘上に家型埴輪や盾・靭・蓋などの[[埴輪]]が出現|| [[前方後円墳]]↓[[銅鏡]]↓ || [[埴輪]]↓ ||
* 日本で銅鏡の製造が盛んになる #銅鏡 ↓
* 古墳の墳丘上に家型埴輪や盾・靭・蓋などの埴輪が出現 #埴輪 ↓ || || ||
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| 4 ||古墳時代 ||  ||364年 ||  ||  ||  ||
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| 4-1 || || 前期 || 364年|| 百済人九氏ら卓淳国をたずね、倭国との通交を求める(日本書紀神功紀) ||  ||  ||
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|  || ||  || 391|| 倭、百済・新羅を破り、臣民とする(高句麗広開土王碑) ||  ||  ||
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| 4-2 || || 中期 || ||  ||  ||  ||
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|  || ||  || 392|| 百済が高句麗に屈する(三国史記)。北部九州の古墳に横穴式石室現る。乗馬の風習と古墳の副葬品に馬具が加わる。若狭湾など日本海でも土器製塩が始まる || 副葬品に馬具 || 横穴式石室↓ ||
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|  || ||  || 405 || 朝鮮半島の陶質土器に影響を受けた須恵器の生産開始/ヤマト王権の大型前方後円墳が奈良盆地から大阪に移り巨大化。吉備地方や関東地方にも広がる|| [[須恵器]]↓(土師器と併用) ||  ||
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|  || ||  || 421 || 倭王の讃、宋に朝見して武帝から叙授(安東将軍倭国王)(宋書倭国伝) ||  || [[倭の五王]]↓[[17履中天皇]] ||
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|  || ||  || 430 || 古墳の副葬品に鉄製武器・武具の比率高くなる。被葬者の軍事的性格が強くなる|| 副葬品に鉄製武器・武具↓ ||  ||
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|  || ||  || 438 || 倭王の讃没し、珍が立つ。日本で最大規模の前方後円墳である現応神陵、現仁徳陵が造られる。農具の鉄器化|| 鉄製農具↓ || [[15応神おうじん]] [[16仁徳天皇]] [[18反正天皇]]||
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|  || ||  || 451 || 倭王の済、宋に朝貢。叙授(安東将軍)(宋書倭国伝)|| ↓ || [[19允恭天皇]]||
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|  || ||  || 462 || 宋の孝武帝、済の世子の興を安東将軍倭国王とする(宋書孝武帝紀、宋書倭国伝) ||  || [[倭の五王]]↓[[20安康天皇]] ||
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|  || ||  || 471 || 倭王の済、宋に朝貢(宋書倭国伝)、埼玉県行田市古墳出土の鉄剣銘に「ワカタケル大王」。熊本県出土の大剣銘と同一人物とされ、倭王の武、雄略天皇とされる||  || [[21雄略天皇]]||
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| 4-3 || || 後期 || 479 || ||  || ||
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|  || ||  ||  || 一部の地域で先駆的な初期群集墓が出現(奈良県橿原市新沢千塚古墳)。北部九州で横穴墓が出現(福岡県竹波横穴群)||  || ||
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|  || || || 507 || 大伴金村ら、応神天皇5世孫と伝える男大亦王を越前の三国から迎え天皇の位へ||  || [[継体天皇]]  ||
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|  || || || 527 || 近江臣毛野が6万率いて任那に向おうとするも新羅と通じた筑紫国造磐井氏と肥・豊の軍がはばむ(磐井氏の乱)|| [[磐井氏の乱]] ||  ||
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|  || || || 528 || 大将軍物部氏が磐井を惨殺(磐井氏の乱)||  ||  ||
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|  || || || 540 || 大伴連金村が任那問題で失脚。秦人・漢人の戸籍を作る(紀)||  ||  [[欽明天皇]] ↓ ||
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|  || || ||550 || 百済が高句麗の奴婢と捕虜を倭に贈る。近畿中央部を除く地域で大型前方後円墳が見られなくなる。関東地方では墳丘長60〜100m級前方後円墳が盛んに造営。関東では人物埴輪が盛行||    ||  ||
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|  || || || 564 || 北部九州で装飾古墳が盛ん(福岡県王塚古墳)||  ||  ||
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|  || || || 587 || 天皇の病を期に仏教を強く勧める蘇我氏、物部氏と中臣勝海が反対。物部氏と蘇我氏の宗教戦争に発展し物部氏敗れる  || [[物部氏]] ||  ||
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|  || || || 588 || 百済が仏舎利を献じ、僧・寺工・路盤博士・瓦博士・画工を贈る。蘇我馬子や善信尼らを百済に留学。飛鳥に法興寺(飛鳥寺)建立開始  || [[飛鳥寺]]↓ ||  ||
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|  || || || 592 || 蘇我馬子が崇峻天皇を殺す||  ||  ||
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|  || || || 593 || 飛鳥寺に仏舎利を置く。厩戸皇子を太子とし摂政とする  ||  || [[推古天皇]]↓ ||
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|  || || || 600 || 新羅と任那が戦う。西日本では6C末で東日本は7C初をもって前方後円墳は造営終わり以後方墳や円墳を営む。7C中〜8C初に即位した大王は八角墳を営む。顕著な古墳築造は一部の地域を除きほぼ7C後半に終息  ||  ||  ||
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| 5 || 飛鳥時代||  || ||  ||  ||  ||
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|  || || || 601 || 厩戸皇子が斑鳩宮を造る||  ||  ||
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|  || || || 607 || 小野妹子の遣隋使 ||  ||  ||
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| 6 || 奈良時代||  || ||  ||  ||  ||
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2025年11月11日 (火) 17:58時点における最新版

  • 参考図書「歴史学研究会編 日本史年表 第5版」2028年2月5日 第2刷発行
日本古代史my概略年表 
no(id_no)  大分類(era1) 中分類(era2) 年代(year) 重要エポック(points) 関連ノート(link notes1) 関連ノート(link note2) コメント(comments)
1 旧石器時代   
2 縄文時代  
2-1 草創期 約16000年前(約13000年前) 
2-2 早期 前10000年頃(前7000頃)
  縄文海進
2-3 前期 前5000年頃(前4500頃) 
2-4 中期 前3500頃(前3000頃)
2-5 後期 前2500頃(前2000頃)
2-6 晩期 前1200頃(前1000頃)
亀ヶ岡式土器 縄文文化の集大成
3 弥生時代
3-1 早期 前10世紀頃(前5〜前4頃)
3-2 前期 前8世紀頃(前4〜前3頃)
前5〜前4世紀頃
3-3 中期 前4世紀頃(前2世紀頃)
紀元前1世紀頃
紀元前後
3-4 後期 後57年
107 倭国王が後漢の安帝に生口160人を献ずる
184年頃 倭国乱れる。長いあいだ盟主なし(魏志倭人伝)。卑弥呼がこの頃、王となる。鬼道につかえ、夫はなく、弟が統治を助けた(魏志倭人伝)。土器が地域の越えて移動が盛んになる。東日本中心に前方後円形墳丘墓が営まれる。西日本中心に前方後円形墳丘墓が営まれる
248 卑弥呼がこの頃死す。奴婢100人あまりを殉葬する。男の王様を立てるが争ういがやまず誅殺され1000人余が殺されたという。卑弥呼の宗女、壱与(いよ)とも台与(とよ)ともよばれる女が女王となり治まった。@宗女とは==同宗(一族・血縁)の女性、特に後継者と目される女性==を指す言葉。この頃から西日本に前方後円墳が出現。竪穴式石室に多数の銅鏡、武器、農耕具が副葬される。弥生式土器の地域色が希薄になった土師器(はじき)が用いられ始めた。  土師器(はじき)↓(出現)  土師氏
266 倭の女王(壱与?)が西晋に朝貢(日本書紀神功紀など)。この後は413年まで中国の史書に倭の記述は見えない。@欠落した4世紀
3世紀後半〜 全国に前方後円墳が造られれる。@前方後円墳は地方豪族は許可制だったらしい。日本で銅鏡の製造が盛んになる。古墳の墳丘上に家型埴輪や盾・靭・蓋などの埴輪が出現 前方後円墳銅鏡 埴輪
4 古墳時代 364年
4-1 前期 364年 百済人九氏ら卓淳国をたずね、倭国との通交を求める(日本書紀神功紀)
391 倭、百済・新羅を破り、臣民とする(高句麗広開土王碑)
4-2 中期
392 百済が高句麗に屈する(三国史記)。北部九州の古墳に横穴式石室現る。乗馬の風習と古墳の副葬品に馬具が加わる。若狭湾など日本海でも土器製塩が始まる 副葬品に馬具 横穴式石室↓
405 朝鮮半島の陶質土器に影響を受けた須恵器の生産開始/ヤマト王権の大型前方後円墳が奈良盆地から大阪に移り巨大化。吉備地方や関東地方にも広がる 須恵器↓(土師器と併用)
421 倭王の讃、宋に朝見して武帝から叙授(安東将軍倭国王)(宋書倭国伝) 倭の五王17履中天皇
430 古墳の副葬品に鉄製武器・武具の比率高くなる。被葬者の軍事的性格が強くなる 副葬品に鉄製武器・武具↓
438 倭王の讃没し、珍が立つ。日本で最大規模の前方後円墳である現応神陵、現仁徳陵が造られる。農具の鉄器化 鉄製農具↓ 15応神おうじん 16仁徳天皇 18反正天皇
451 倭王の済、宋に朝貢。叙授(安東将軍)(宋書倭国伝) 19允恭天皇
462 宋の孝武帝、済の世子の興を安東将軍倭国王とする(宋書孝武帝紀、宋書倭国伝) 倭の五王20安康天皇
471 倭王の済、宋に朝貢(宋書倭国伝)、埼玉県行田市古墳出土の鉄剣銘に「ワカタケル大王」。熊本県出土の大剣銘と同一人物とされ、倭王の武、雄略天皇とされる 21雄略天皇
4-3 後期 479
一部の地域で先駆的な初期群集墓が出現(奈良県橿原市新沢千塚古墳)。北部九州で横穴墓が出現(福岡県竹波横穴群)
507 大伴金村ら、応神天皇5世孫と伝える男大亦王を越前の三国から迎え天皇の位へ 継体天皇
527 近江臣毛野が6万率いて任那に向おうとするも新羅と通じた筑紫国造磐井氏と肥・豊の軍がはばむ(磐井氏の乱) 磐井氏の乱
528 大将軍物部氏が磐井を惨殺(磐井氏の乱)
540 大伴連金村が任那問題で失脚。秦人・漢人の戸籍を作る(紀) 欽明天皇
550 百済が高句麗の奴婢と捕虜を倭に贈る。近畿中央部を除く地域で大型前方後円墳が見られなくなる。関東地方では墳丘長60〜100m級前方後円墳が盛んに造営。関東では人物埴輪が盛行
564 北部九州で装飾古墳が盛ん(福岡県王塚古墳)
587 天皇の病を期に仏教を強く勧める蘇我氏、物部氏と中臣勝海が反対。物部氏と蘇我氏の宗教戦争に発展し物部氏敗れる 物部氏
588 百済が仏舎利を献じ、僧・寺工・路盤博士・瓦博士・画工を贈る。蘇我馬子や善信尼らを百済に留学。飛鳥に法興寺(飛鳥寺)建立開始 飛鳥寺
592 蘇我馬子が崇峻天皇を殺す
593 飛鳥寺に仏舎利を置く。厩戸皇子を太子とし摂政とする 推古天皇
600 新羅と任那が戦う。西日本では6C末で東日本は7C初をもって前方後円墳は造営終わり以後方墳や円墳を営む。7C中〜8C初に即位した大王は八角墳を営む。顕著な古墳築造は一部の地域を除きほぼ7C後半に終息
5 飛鳥時代
601 厩戸皇子が斑鳩宮を造る
607 小野妹子の遣隋使
6 奈良時代
7 平安時代
8 鎌倉時代
9 室町時代
10 南北朝
11 戦国時代
12 安土桃山時代