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*参考図書「歴史学研究会編 日本史年表 第5版」2028年2月5日 第2刷発行 {| class="wikitable" style="margin:auto" |+ 日本古代史my概略年表 |- ! no(id_no) !! 大分類(era1) !! 中分類(era2) !! 年代(year) !! 重要エポック(points) !! 関連ノート(link notes1) !! 関連ノート(link note2) !! コメント(comments) |- | 1 || 旧石器時代 || || || || || || |- | 2 || 縄文時代 || || || || || || |- | 2-1 || || 草創期 || 約16000年前(約13000年前) || || || || |- | 2-2 || || 早期||前10000年頃(前7000頃)|| || || || |- | || || || || 縄文海進 || || || |- | 2-3 || || 前期||前5000年頃(前4500頃) || || || || || |- | 2-4 || || 中期||前3500頃(前3000頃)|| || || || |- | 2-5 || || 後期 ||前2500頃(前2000頃) || || || || |- | 2-6 || || 晩期 ||前1200頃(前1000頃) || || || || |- | || || || || 亀ヶ岡式土器 縄文文化の集大成 || || || |- | 3 ||弥生時代 || || || || || || |- | 3-1 || || 早期 || 前10世紀頃(前5〜前4頃)|| || || || |- | 3-2 || ||前期 ||前8世紀頃(前4〜前3頃) || || || || |- | || || || 前5〜前4世紀頃|| || || || |- | 3-3 || || 中期 ||前4世紀頃(前2世紀頃) || || || || |- | || || || 紀元前1世紀頃|| || || || |- | || || ||紀元前後 || || || || |- | 3-4 || ||後期 ||後57年 || || || || |- | || || ||107 || 倭国王が後漢の安帝に生口160人を献ずる || || || |- | || || ||184年頃 ||倭国乱れる。長いあいだ盟主なし(魏志倭人伝)。卑弥呼がこの頃、王となる。鬼道につかえ、夫はなく、弟が統治を助けた(魏志倭人伝)。土器が地域の越えて移動が盛んになる。東日本中心に前方後円形墳丘墓が営まれる。西日本中心に前方後円形墳丘墓が営まれる || || || |- | || || || 248|| 卑弥呼がこの頃死す。奴婢100人あまりを殉葬する。男の王様を立てるが争ういがやまず誅殺され1000人余が殺されたという。卑弥呼の宗女、壱与(いよ)とも台与(とよ)ともよばれる女が女王となり治まった。@宗女とは==同宗(一族・血縁)の女性、特に後継者と目される女性==を指す言葉。この頃から西日本に前方後円墳が出現。竪穴式石室に多数の銅鏡、武器、農耕具が副葬される。弥生式土器の地域色が希薄になった[[土師器]](はじき)が用いられ始めた。 || [[土師器]](はじき)↓(出現)|| [[土師氏]]↓|| |- | || || || 266|| 倭の女王(壱与?)が西晋に朝貢(日本書紀神功紀など)。この後は413年まで中国の史書に倭の記述は見えない。@欠落した4世紀 || || || |- | || || || 3世紀後半〜|| 全国に前方後円墳が造られれる。@前方後円墳は地方豪族は許可制だったらしい。日本で[[銅鏡]]の製造が盛んになる。古墳の墳丘上に家型埴輪や盾・靭・蓋などの[[埴輪]]が出現|| [[前方後円墳]]↓[[銅鏡]]↓ || [[埴輪]]↓ || |- | 4 ||古墳時代 || ||364年 || || || || |- | 4-1 || || 前期 || 364年|| 百済人九氏ら卓淳国をたずね、倭国との通交を求める(日本書紀神功紀)|| || || |- | || || || 391|| 倭、百済・新羅を破り、臣民とする(高句麗広開土王碑) || || || |- | 4-2 || || 中期 || || || || || |- | || || || 392|| 百済が高句麗に屈する(三国史記)。北部九州の古墳に横穴式石室現る。乗馬の風習と古墳の副葬品に馬具が加わる。若狭湾など日本海でも土器製塩が始まる || 副葬品に馬具 || 横穴式石室↓ || |- | || || || 405 || 朝鮮半島の陶質土器に影響を受けた須恵器の生産開始/ヤマト王権の大型前方後円墳が奈良盆地から大阪に移り巨大化。吉備地方や関東地方にも広がる|| [[須恵器]]↓(土師器と併用) || || |- | || || || 421 || 倭王の讃、宋に朝見して武帝から叙授(安東将軍倭国王)(宋書倭国伝) || || [[倭の五王]]↓[[17履中天皇]] || |- | || || || 430 || 古墳の副葬品に鉄製武器・武具の比率高くなる。被葬者の軍事的性格が強くなる|| 副葬品に鉄製武器・武具↓ || || |- | || || || 438 || 倭王の讃没し、珍が立つ。日本で最大規模の前方後円墳である現応神陵、現仁徳陵が造られる。農具の鉄器化|| 鉄製農具↓ || [[15応神おうじん]] [[16仁徳天皇]] [[18反正天皇]]|| |- | || || || 451 || 倭王の済、宋に朝貢。叙授(安東将軍)(宋書倭国伝)|| ↓ || [[19允恭天皇]]|| |- | || || || 462 || 宋の孝武帝、済の世子の興を安東将軍倭国王とする(宋書孝武帝紀、宋書倭国伝) || || [[倭の五王]]↓[[20安康天皇]] || |- | || || || 471 || 倭王の済、宋に朝貢(宋書倭国伝)、埼玉県行田市古墳出土の鉄剣銘に「ワカタケル大王」。熊本県出土の大剣銘と同一人物とされ、倭王の武、雄略天皇とされる|| || [[21雄略天皇]]|| |- | 4-3 || || 後期 || 479 || || || || |- | || || || || 一部の地域で先駆的な初期群集墓が出現(奈良県橿原市新沢千塚古墳)。北部九州で横穴墓が出現(福岡県竹波横穴群)|| || || |- | || || || 507 || 大伴金村ら、応神天皇5世孫と伝える男大亦王を越前の三国から迎え天皇の位へ|| || [[継体天皇]] || |- | || || || 527 || 近江臣毛野が6万率いて任那に向おうとするも新羅と通じた筑紫国造磐井氏と肥・豊の軍がはばむ(磐井氏の乱)|| [[磐井氏の乱]] || || |- | || || || 528 || 大将軍物部氏が磐井を惨殺(磐井氏の乱)|| || || |- | || || || 540 || 大伴連金村が任那問題で失脚。秦人・漢人の戸籍を作る(紀)|| || [[欽明天皇]] ↓ || |- | || || ||550 || 百済が高句麗の奴婢と捕虜を倭に贈る。近畿中央部を除く地域で大型前方後円墳が見られなくなる。関東地方では墳丘長60〜100m級前方後円墳が盛んに造営。関東では人物埴輪が盛行|| || || |- | || || || 564 || 北部九州で装飾古墳が盛ん(福岡県王塚古墳)|| || || |- | || || || 587 || 天皇の病を期に仏教を強く勧める蘇我氏、物部氏と中臣勝海が反対。物部氏と蘇我氏の宗教戦争に発展し物部氏敗れる || [[物部氏]] || || |- | || || || 588 || 百済が仏舎利を献じ、僧・寺工・路盤博士・瓦博士・画工を贈る。蘇我馬子や善信尼らを百済に留学。飛鳥に法興寺(飛鳥寺)建立開始 || [[飛鳥寺]]↓ || || |- | || || || 592 || 蘇我馬子が崇峻天皇を殺す|| || || |- | || || || 593 || 飛鳥寺に仏舎利を置く。厩戸皇子を太子とし摂政とする || || [[推古天皇]]↓ || |- | || || || 600 || 新羅と任那が戦う。西日本では6C末で東日本は7C初をもって前方後円墳は造営終わり以後方墳や円墳を営む。7C中〜8C初に即位した大王は八角墳を営む。顕著な古墳築造は一部の地域を除きほぼ7C後半に終息 || || || |- | 5 || 飛鳥時代|| || || || || || |- | || || || 601 || 厩戸皇子が斑鳩宮を造る|| || || |- | || || || 607 || 小野妹子の遣隋使 || || || |- | 6 || 奈良時代|| || || || || || |- | 7 ||平安時代 || || || || || || |- | 8 || 鎌倉時代|| || || || || || |- | 9 || 室町時代|| || || || || || |- | 10 || 南北朝|| || || || || || |- | 11 ||戦国時代 || || || || || || |- | 12 || 安土桃山時代|| || || || || || |- | || || || || || || || |- |} ---- [[Category:日本古代史]]
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