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三十三間堂
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こんな立派な千体観音像が日本のあちこちにあるわけはなく、唯一ここにしかないのは実際見てみれば納得 千体、千体、と言ってるが正解は千手観音なのだが、千体もの観音像が一箇所にあるという事実にここは注目したい 建物は正式には「蓮華王院三十三間堂」といい、1164に後白河上皇・院政庁(法住寺殿)の一画に平清盛が造った。とパンフレットにある 長いお堂は120mあり総檜造り。正面の柱と柱の間が33あることからこの呼び名が付いている 三十三間堂 観音像は中央に大迫力の「中尊」(国宝)にまず圧倒されるのですが、左右にそれぞれ500対、合計1001体を含んで御本尊となっています。全て檜材の寄木造り。建物から御本尊の像まで全て檜造りなんて贅沢 日本書紀に「スギとクスノキは船に、ヒノキは宮殿に、マキは棺に使いなさい」と書いてあるらしく(木づかい.comより)法隆寺もヒノキ材を使っていて1300年もしっかり支えているのだから耐久性は抜群なのですね。鉄やコンクリートでさえ100年程度といわれているので信じられません それはさておき、この中央の巨像(中尊)はあの運慶の息子である湛慶作なのです。割と類型的なお顔をしていて運慶が造る人間臭さを感じるものとは違うと感じました。運慶が突出した存在なのがよくわかります <h3>千体観音像はそれぞれ仏師の想いを投影?</h3> 千体観音像は圧巻!しかもよく見るとお顔もそれぞれ違っていて個性がある ここからは少し妄想が入る。個人的に思うのはお釈迦様や薬師如来、観音様など我々万人にとって唯一無二であるはずで人間が人によって大きく違うように違っていては困るということ と言いながらも仏像だって人が作っているのだし仏様だって個性があっていいではないか・・・と言う理屈も理解できる しかし私には存在自体(仏師達が描こうとした存在)が千体あると見えてしまう。そしてそれは正しいのだろう 中尊と千体観音像(パンフレットより) この千体観音像は彫った仏師達個人個人の思いであり信仰心の投影なのだと思うのです。千人の人間の思いを抱いた観音さまがいると考えればいい 一方で、イエスキリストの像や絵画は作者を問わずキリストは一人しか存在しないのを誰でも理解しているはず。したがって千体イエスキリスト像は存在しない・・ 両側には風神雷神様がどっしりと控えている 俵屋宗達のなんとなくユーモラスな表情をした風神さまに慣れているせいか、顔つきが怖いし絵と違って物理的な迫力で迫ってくる 風神雷神(パンフレットより) この世のものとも思えない なので、ますます千体観音像が人間に見えてくるw ---- * FirstDrafts:2018.04.04 * Update:{{LOCALYEAR}}.{{LOCALMONTH2}}.{{LOCALDAY2}} Now:{{LOCALTIME}} [[Category:日本美術史]]
三十三間堂
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