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歴史に学ぶJune 05, 2023
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歴史に学ぶJune 05, 2023 * 歴史館祭りがあった * ふすまの構造を調べるイベント * ふすまの紙は不要になった紙を貼り付けていた。したがって古文書の価値があるもんのが見つかることがある * 墨はニカワ(水に強い)が含まれていた ---- === 江戸の教育力== === 「徳川の平和により発達した教育 === * ・武士への教育(藩校) * ・庶民への教育(私塾) * ・日本遺産の構成資産のうち水戸市にある ** 弘道館•偕染園 ** 日新孰 を例として学ぶ === 1. 弘道館(敷地面積日本一) === * 仮開館天保12年(1841)…172年前→藩校としては全国的にも遅い開校 * 3つの「日本唯一」がある ** ①城の二の丸(城の中心)に隣接 ** ②鹿島神社と孔子廟が存在→孔子(儒教)と神社をまつる ** ③学校の中心に「設立のコンセプト(理念)」を記した石碑を設置 <span style="color: blue">@白い石使っている</span> === 弘道館と借楽園の創設者 === * 徳川斉昭(1800~1860)@分かりやすい ** 水戸藩第9代藩主として天保改革を推進。 ** 「尊王攘夷」を主張して、明治維新に大きな影響を与えた。 ** 江戸幕府15代将軍徳川慶喜の父。 * 天保12年(1841) 弘道館仮開館 @仮なのは神社に御神体が入っていなかったため ** そして・・ * 天保13年(1842)偕楽園開園 === 弘道館記 === * 「天地の基本原理である''' ”道” を広める '''のは人の力である」=教育の必要性 @弘道 * 「道の館は、何の為に設くるや」=館の設置目的 ** 古代・・・天皇によって正しく行われていた「道」 ** 中世・・「道」が仏数の影響で失われかけた @斉昭は仏教は嫌った ** 江戸時代・・・徳川家康によって再び正しい「道」に帰った * 「家康の精神」を水戸藩初代頼房(家康の11男)と二代光圀が継承 * ↓ * 藩の伝統 * ↓ * さらに推し広めることが「水戸醬士」の使命 === 理念(分かれてはならないもの) === * 「神道」と「儒教」 @江戸時代の考え方、仏教は宗教色が濃かったため避けられた? * 「主君への忠」と「親への孝行」 @弱い主君は避けるというのが儒教。なのでこれは日本特有 * 「学問」と「武芸」 * 「学問」と「事業」 @事業とは現場のこと * 「政治」と「宗教」 @一致させるべき === 教育内容 === * ●文館(儒学を中心とした学問) * ●武館(武術)@普通は以上二つ * ●その他(和歌・天文・数学・地図・音楽・礼法) * ●医学館(薬草の研究、その他) * 学生数 文館→1000人、武館→一稽古場に100人程度 * 入学 私塾の推薦→講習生→会読生→輪読生→居学生(テストで進級) * 出席日数 身分別に規定(月8日〜15日) * 休館日 毎月1日と15日 * 各節句 春分 夏至 秋分 冬至 藩主忌日(いみび)など === 医学館 === * 病人が願い出れば、藩の医者に治療させ、薬を無料で与える。 * 修業したい医者は自由に学ぶことが可能。 * 製薬局・調薬局・本草局・蘭学局・薬園・療病所・養牛場 * 種痘の実施→天保13年から。医師本間玄調が担当。斉昭も2人の子供に接種 === 2. 借楽園(教育施設?) === * 天保5年(1834)→神崎村に梅を多数植える→梅干しを軍事用に想定。 * 天保10年(1839)→「皆楽園記」(草案は天保7年) @案はこんな前からあった * 「学校出来に相成候上の借楽園にこれなくては相当いたさず候」→「弘道館」があってこその「偕楽園」 @切り離せないもの * ※ 『孟子』梁恵王章旬上「古の人は民と偕と楽に楽しむ、故に能く楽しむなり」 * 天保13年(1842)...7月1日開園 === 設立の理念 === * 「一張一弛」。。「張りて弛めず、文武能くせざるなり。弛めて張らず、文武能くせざるなり、一張一弛は文武の道なり」『礼記』 * →弘道館での「一張」と偕楽園での「一弛」は不即不離の関係にあることが、「一陰一陽」「一寒一暑」「一馳一息」などの譬えとともに強調。 === では、どうやるか? === * 「(弘道館で)よく徳を修業し、学業を進めて、余暇があった時には(中略)悠然として二亭の間をぶらぶら歩いたり、あるいは漢許や和歌を詠んだり、楽器を奏でたり、紙を広げて筆をふるい、茶をたてたり、花を見ながら酒をたしなみ、釣り竿を千波湖に投げ入れたり...」 * 「游於藝」(げいにあそぶ)..「四端を拡充して以てその徳を修め、六芸に優游してその業を勤む」 @今も残っている弘道館の掛け物 === その他の役割(一般への開放) === * 「老年に達した人々が保養のために来園するのはもちろん、すべて仕事や学間、武芸の修行の合間に来園して、漢誌や和歌で楽しむことは自由である」 * 藩士→每月男3、8、18、23日、女13、28日 * 庶民→每月3、8日 (当初は領内の神宮・修験・僧侶などで詩歌・音楽・書画・茶道などを嗜む者→領内の庶民一般に拡大) * ただし「百姓町人之義別段拝見は不相済候得共、御家中之供いたし候分は家来下女之見通に而不苦儀」..あくまでも、落士の「お供」として。 * 月見→男7月15日、9月15日 女8月15日 * 養老会...天保13年9月25日 80歳より100歳まで85人。文久2年10月18日 80歳より95歳まで86人 ---- 2023-06-05授業メモ mw @up済 [[Category:歴史に学ぶ(江戸)]] [[Category:江戸時代]]
歴史に学ぶJune 05, 2023
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