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京都に行くならまず智積院
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確かに地味ではあるが見どころはたくさん *長谷川等伯と息子の久蔵の楓図や桜図など障壁画 *名勝庭園は池の水が縁側の下まで入り込んで美しい ==京都に行くならまず智積院というのは正解?== 大学の日本美術史先生が、京都に行ったならまずは智積院に行け!と言っていたが何故なのか 豊臣秀吉が幼くして亡くなった長男棄丸(鶴松)の菩提を弔うために建立した祥雲寺の跡地に建てたもの 収蔵庫には長谷川等伯一門の障壁画がある。桜、楓、雪松、松に立葵、松に秋草や草花図など同じ時期の狩野永徳とは別の豪華絢爛さを見せてくれる・・・ ということなのだが、管理人が行った時は京都国立博物館「国宝展」(2017.10)に「楓図」が出品されていて鑑賞した翌日、久蔵の作品を智積院で見ることが出来ました(等伯「楓図」と久蔵「桜図」は京都国立博物館に入れ換えで出品) パンフレットにも書いてあるが智積院は真言宗智山派の総本山なのですが、あの成田山新勝寺や川崎大師平原寺、高尾山薬王院の大本山などをはじめとする全国3000もの末寺の総本山、総元締めなのです ===秀吉から家康へ=== そもそもは豊臣秀吉の早逝した長男棄丸(鶴松)の菩提を弔うために建立した祥雲禅寺。秀吉の紀州征伐で焼かれた真言宗派根来寺の学問所だった智積院を、徳川家康が豊国神社の一部を根来寺住職に寄進して再建したものだそうです 京都には豊臣家由来のものが多数ある。その後、天下を取った徳川家康は自分の権力を世に知らしめる為、京の都にも自分の足跡を残そうとした意思の一つ。 ちなみに東本願寺は徳川家ゆかりで建立したもので、それによって本来の本願寺を西本願寺と呼ぶようになったそうです 天下人の移り変わりとともに神社仏閣など信仰対象に深く関わって行く。かつての天下人もそうだったように神になろうとしたのだろうか この智積院も象徴的なものとして一度は見たほうがいいよ、と先生は言いたかったのだろうか ===長谷川等伯一門の国宝=== 等伯といえば東京国立博物館の国宝「松林図」が有名だが、ここには等伯「楓図」と息子久蔵「桜図」がある。日本の障壁画を代表するものとして世界的にも有名 本堂の脇、歩いてすぐのところに宝物堂があり、ワクワクしながら中に入った 実は障壁画が建物室内に実際に収まっているところを初めて見た。それほど広い部屋ではないので余計に障壁画の大きさに圧倒される 「桜図」豪華で絢爛。桜の花は異様に盛り上がり、エネルギーを持って迫ってきます(前述だが「楓図」のみ京都国立博物館展示の為、留守) 画面を大胆に斜めに遮る木と楓の色とりどりの美しい葉、秋を彩る花々達。金泥の雲の合間から垣間見えるのは、天上から見る下々の世界か? 息子久蔵は26歳で亡くなったのですが、25歳時の作品が「桜図」 父親の等伯は、悲しみとともに息子の傑作に負けない作品を創る!という意気込みがあったのではないでしょうか...実はライバルに向けた作品「楓図」 庭園を眺めながらゆったりと過ごせる空間。そして稀に見る傑作2点(もちろんその他作品も素晴らしいですよ)...... 確かに美術品を見たい人にとっても、真っ先に来るべき場所でした。智積院 ---- * First Drafts: * Update:{{LOCALYEAR}}.{{LOCALMONTH2}}.{{LOCALDAY2}} Now:{{LOCALTIME}} [[Category:日本美術史]]
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