霞ヶ浦のあけぼの20250206
提供:UselessNotes
霞ヶ浦のあけぼの
- 日本書紀講座の合間に画像での説明 阿久津久さん
2025.02.06
縄文海進
- 霞ヶ浦周辺には貝塚が多い。海外線が現在とは様変わり
- 上層は1万年前くらい。関東ローム層の下に鹿沼層と呼ばれる礫層。3万くらい前 榛名山、赤城山噴火。その下に関東ローム層
- 鹿沼層から下から痕跡は出ていない
- つまり日本は3万年〜せいぜい5万年前に人間の生活の痕跡が現れ始めた
- 捏造事件があって旧石器時代の遺物がでた。ある人間が犯罪。文科省は信じて教科書にまでのせようとした。毎日新聞が真実を暴露
- 霞ヶ浦は深度4〜6m
- 日本書紀の景行天皇時代 「安房の水門」とあるのは銚子〜霞ヶ浦近辺
- これを受けて風土記にも記載
- 縄文海進はおよそ6千年前
- 霞ヶ浦の南側が海続きー>その後浅瀬が閉じ込められたので浅い
貝塚
- 縄文前期 常陸太田市
- 縄文中期〜後期 南高野
- モース先生 大森貝塚発見
- 佐々木忠二郎 陸平(おかだいら)貝塚 美浦村
- 浮島 藻塩造り わかめを焼くという製法
藻塩造り
- わかめを焼くという製法
- 宮城の鹽竈神社が有名な藻塩造りをしていたところ
- 縄文後期から土器で造るようになった
弥生時代
茨城の弥生時代
- 茨城には前期がなく、中期〜後期から。遅れて弥生文化が訪れたため(3C〜4C中)
- 草刈りに使われていた石包丁(いしぼうちょう)は茨城から出土していない。などからわかる
- 十王台式土器(弥生式)、その後に御陵(ごりょう)式土器(6C~7C)が現れる。これは須恵器だった
- 五畿七道(天武、持統天皇が始める)にて中央政権から派遣されて地方制服。こういう道は茨城に通じていなかった
大生氏(おおう)
- 霞ヶ浦近辺の有力豪族のこと。もともと福岡にいた
- 大生古墳 宮中野古墳
- 神武天皇の子どもと言われている
- 行方郡の記述はほとんど常陸国風土記に残っている @大和朝廷のとって重要な土地だったことがわかる。鹿嶋神宮〜多賀城にいたる蝦夷退治の最前線
古墳
霞ヶ浦周辺
- 舟塚古墳、舟塚山古墳
- 三昧塚(さんまいづか)古墳 関東で唯一出土した「冠」が出たところ
- 円墳もたくさんあって有力な豪族が住んでいた痕跡>大生氏
- @マークは筆者個人
- FirstDrafts:2025.2.8
- Update:2025.05.15 Now:01:27