西洋史20250512
西洋史第4回
(2025.5.12)
18世紀後半ヨーロッパ
二宮金次郎の像(小田原)今日の内容
18世紀後半ヨーロッパ「環大西洋革命/二重革命」の時代
1.啓蒙思想のヨーロッパへの影響 2. 18世紀後半の「環大西洋革命」
①イギリス産業革命と「勤勉革命」
3.②アメリカ独立革命 ③フランス革命今日の課題
今日のキーワード「勤勉」または「市民」という用語について、現在の意味とどのような点が異なると考えるか、述べること(~17:30)。1.啓蒙思想のヨーロッパへの影響(17-18世紀)
https://www.schoenbrunn.at/fileadmin/_processed_/1/0/csm_HG128007_a268538891.jpg
ウィーン・シェーンブルン宮殿に設けられた
「東アジアの部屋」
「啓蒙思想」の発達:「大交易時代」「17世紀科学革
命(ケプラー、ガリレオ、ニュートンら)」→「理
性」「合理性」「進歩」という価値観の登場
ジョン・ロック(1632-1704、イギリス哲学者):
「社会契約」によって人民に権力が委ねられる
ヴォルテール(1694-1778、フランス哲学者)の中国
評価(儒教の合理性、科学の発達)と西洋批判→(キリスト教にとらわれない)理性の必要性を訴える→その後、アジアは「停滞」したと考える「ヨーロッパ中心史観」
清朝の最大勢力(東トルキスタン/新疆(しんきょう))、中国物産(茶、絹織物、陶磁器)の人気→ヨーロッパでの中国(東洋)ブーム(シノワズリ)ハプスブルク帝国におけるバロック文化の発展(17-18世紀)
「神の恩寵」のもとのハプスブルク家と国づくり
皇帝カール6世の名を冠した「カール教会」
(1737):王権・カトリック・諸身分の「三位一体」を体現(ウィーン)
ウィーンのペスト(三位一体)記念柱
(1679):皇帝レオポルト1世によるオーストリア、ボヘミア、ハンガリーの三つの王冠を携える女帝マリア・テレジア
オーストリア(ハプスブルク帝国)とプロイセン
18世紀に登場した啓蒙専制君主
https://habsburg2019.jp/works/#/people/6
30年戦争(1618-48)後のドイツ:オーストリア(ハプスブルク家)、プロイセンの勢力拡大→オーストリアでは対抗宗教改革による再カトリック化が進展
第二次ウィーン包囲(1683)とカルロヴィッツ条約→オスマン帝国からハンガリー領を獲得
オーストリア継承戦争(1740-48):女帝マリア・テレジアの即位にプロイセン王フリードリヒ2世が介入→プロイセンによるオーストリア領(現ポーランド領シレジア)の割譲
オーストリアとプロイセンのもう一つの「7年戦争(1756-63)」→オーストリア、プロイセンから領土を奪い返せず(イギリス、フランス、スウェーデン、ロシアの介入)「啓蒙思想」と「革命」の波及
18世紀中部・東部ヨーロッパ
出典:稲野『マリア・テレジアとヨーゼフ2世』
岩崎『ハプスブルク帝国』18世紀啓蒙専制君主による「上からの」改革
フランス革命と同時期のオーストリア
「啓蒙君主」ヨーゼフ2世(在位1765-1790年)とマリー・アントワネット兄妹
マリア・テレジアの長男ヨーゼフ2世の皇帝即位(1765):「上からの」近代化・国家統一・軍事力強化→プロイセン・モデル、徴兵・徴税のための全国統計→中央集権・官僚整備、ドイツ語公用語化→大貴族とカトリック教会の力を抑えつける
プロテスタントとユダヤ教徒の容認(寛容令)、農奴制の廃止、病院整備と救貧政策 プロイセン、ロシアとの協同によるポーランド分割(1772-95)→ガリツィア地方(現ウクライナ西部)の獲得→国内の多民族化の進展
人口2500万人の大国に→地域や身分を越えた「公民」の育成による国の近代化を目指すも、強い反発を受ける:大貴族、領主層(諸身分)の強い力を皇帝も無視できず皇帝をもしのぐ?ハプスブルク帝国の大貴族
https://www.youtube.com/watch?v=Bnx14A8E7PE
チェスキー・クルムロフ(チェコ)の城主シュワルツェンベルク家
ドイツ系の大貴族・大土地所有者
2.18世紀後半の「環大西洋革命」
①イギリス産業革命
二つの七年戦争(1755/56-63):プロイセンとオーストリア、フレンチ・インディアン戦争→北米におけるイギリス支配の確立とフランスの撤退→フランス革命の火種に
奴隷貿易で得た収入を通してインド産綿布を購入→イギリスのインドにおける貿易独占の確立(1757年プラッシーの戦い)
イギリスの思惑:インド綿布の購入から自国綿布の生産への切り替え(輸入代替)→紡績機、蒸気機関の開発と産業革命→原料としての綿花のプランテーション栽培と奴隷の需要増
大西洋三角貿易を基盤にイギリス工業化と原料調達・国外販売ルートの確立北米植民地をめぐる英仏の争い/第二次英仏百年戦争
1755-63年の「7年戦争」
フランス語・フランス文化のアイデンティティとイギリス連邦の一員意識の共存
カナダ・ケベック州(モントリオール)のノートルダム寺院とヴィクトリア女王像
「産業革命」だけではない18世紀の産業を支えた「勤勉革命」
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480861375/
「エンクロージャーによる新たな労働者層の誕生や安価な石炭の存在など、工業化に必要な要素がそろっていたとしても、それを実行に移すモチベーションがなければ、産業革命など起こるはずがない。
本書は、これまで一貫して、この歴史学の空白地帯であったモチベーション―「消費願望」―について考察を展開してきた第一人者による、画期的研究である。産業革命はヨーロッパ世界を経済発展に導く契機となったが、それには人々の消費行動を変えた「勤勉革命」(Industrious Revolution)と呼ぶべき、産業革命に先行する社会現象がきわめて重要な役割を担っていた。そう、「あれも欲しい、これも欲しい」という人間の欲望の高まりが現金収入の必要性を生み、人々を労働市場に駆り立て、産業革命のうねりを作り出したのである(出版社公式)。」機械化が進む前に起こった労働に対する考え方の変化
欧州とアジア(日本)の違い
「勤勉」のシンボルとされた二宮金次郎
中国・清朝の経済発展(人口増加、土地開発、人の移動の自由と海外移住/華僑ネットワークの形成)
日本:「鎖国」による海外物産の減少→江戸時代の新田開発(産業の国産化)と人口増大→家畜コストの上昇を人力で賄う(労働時間の増大と商品作物の実入りアップ)
「勤勉革命」と呼ばれる(オランダで注目される)イギリスにおける産業革命のきっかけ
羊毛産業、自国の石炭、アメリカとインドの植民地
https://www.heritagesheepreproduction.com/pages/uk-sheep-breeds
イギリスで発達した羊毛産業(写真はイメージです)
16世紀以降のイギリスにおける「独立自営農民(主に羊毛産業)」の出現→牧場の大地主の出現(「囲い込み/エンクロージャー」)→「資本主義」「近代市民」の原型を見いだす捉え方も現れる
ヨーロッパにおける農業規模の大型化→家畜(馬、水牛)の増加→産業革命も同じ原理だが、化石燃料(石炭)の利用が画期となる
18世紀末イギリスで進んだ、「自国の」石炭と工場生産による機械化の進展→既に農村(羊毛産業など)では小規模に進められていた経営方式(プロト工業化と呼ばれる)
工場生産を可能にした、農村から都市への労働力の移動と、機械の大規模化による「分業」概念の成立近世ヨーロッパの人々の「消費願望」
18世紀に広まったドイツ・マイセン地方の陶磁器
オーストリア・ウィーンを中心に広まったカフェ文化
- 3.18世紀後半の「環大西洋革命」
②アメリカ独立革命と③フランス革命
アメリカ独立戦争に参加したポーランドの軍人コシューシコ
植民地の利益をめぐる北米13植民地出身の白人(クレオール)とイギリス本国の利害対立(印紙法):独立戦争(1776-83)と啓蒙思想の広がり(人権、自由)
アメリカ独立戦争からのフランスの撤退と財政悪化→課税のために開催された三部会→1789年フランス革命の勃発と「人権宣言
(人間と市民の権利の宣言)」発表
1789-1799年「フランス革命」:ブルジョワジーによる「一にして不可分の共和国」の試み(立憲王政/共和政、王政廃止)、私的所有権の保障、カトリック教会の政治・行政への関りを排除フランス革命の主役たち
三つの円に要注目!(「市民(ブルジョワ)」はごく一握り)
出典:遅塚『フランス革命』
「フランス革命は一つの革命ではなく、アリストクラート(貴族とそれに準ずるブルジョワ)、ブルジョワ、都市民衆、農民の四つの「革命」からなり、結局、**「ブルジョワの革命」が最大の成果をおさめた**という意味でフランス革命は「ブルジョワ革命」なのだ、という。 ここで重要なことは、フランス革命の苛烈な性格を、封建貴族対ブルジョワの対立という面だけでなく、都市・農村の民衆を加えた三者の関係からとらえること、また、三つの革命はそれぞれ固有な性格を持つ自律的な運動であり、しかもそれらが同時発生によって結合連関を構成する、ということである。言いかえると、貴族の王権にたいする反抗、ブルジョワの貴族にたいする反感、都市民衆の食糧暴動、農民の土地騒擾(そうじょう)は、単独では決定的な危機要因ではないが、同時発生によって結合連関を構成するとき革命となる、というのである。」柴田『フランス史10講』116頁「市民」「私的所有権」という概念から見るフランス革命
出典:『世界史史料』第6巻
「市民」に該当する二つのフランス:ルソー
『社会契約論』による
ブルジョワBourgeois:商工業者、都市居住民、産業資本家(ブルジョワジー)→職業による区分け
シトワイヤンcitoyen:共通の政治理念・公共理念を持つ人びと→職業や居住地は関係なし→フランス人権宣言で言及→「フランス国民」を指す言葉に
ギリシャ語「ポリスpolis」、ラテン語「キウィタスcivitas」→都市国家、政治的・軍事的な市民団(構成員はシテcité)→中世以降に意味が変化「人権」と黒人奴隷制の関係をどう考えるのか
「「フランス革命とは何か」と問われて、それは人権宣言である、と答える人も多いであろう。
しかし浜忠雄は、人権宣言を慎重に読み解かなければならないとしている。まず、「人権宣言」はあくまで略称であって、正確には「人の権利と市民の権利の宣言」と訳すべきである。つまり、一方に「人の権利」があり、他方に「市民の権利」があり、両者の違いを明確にすることが重要なのである。 たとえば第一条では、「人は自由かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する」とあるが、ここでの「人」はあくまで一般的・抽象的な人格であって、現実の存在としての個々人が念頭におかれているのではない。「市民の権利」の方はどうか。第一四条には、「すべての市民は、自分自身で、またはその代表者を通じて、公の租税拠出の必要性を確認する権利を有し、その租税拠出を自分の意思で承認し、その使途を追跡し、その割り当て額・割り当て方法・徴収期間・存続期間を決定する権利を有する」とされている。租税拠出やその使途方法を決定する権利、立法に参加する権利、公職に就く権利などは「市民の権利」であって、「人の権利」ではない。
それでは誰が、「市民の権利」を行使するのか。これについては人権宣言に明文規定がない。ただし、その審議過程でシエイエスは、「少なくとも現状では、女性、子供、外国人、そして、公的施設の維持に何ら貢献しえない者は、公的問題に何ら能動的に影響力を行使すべきではない」と表明している。ここで「公的な問題に能動的に影響力を行使」する人のことを「能動市民」と呼び、その資格は、二五歳以上のフランス人男性で、一定以上の租税を支払い、被雇用者でないなどと、法令で規定された。浜によれば、この条件を満たす能動市民は一七九一年の統計によると四三〇万人で、全人口の一五.六%にすぎなかったという。
したがって、黒人奴隷はむろんそこには含まれず、人ではなく奴隷主の「財産」であった。人権宣言が採択されたとしても、黒人奴隷には何ら関係のないことであった。」(布留川正博『奴隷船の世界史』143-144頁)フランス海外植民地(ハイチ)で生じた「自由/人権」を求める戦い
革命当時のフランス・カリブ海植民地(ハイチ)で生じた黒人奴隷の反乱(1791年)→アメリカと同様の独立を目指す→ハイチ独立宣言(1804年)
ナポレオン(1799年政権掌握、1804年皇帝即位)による鎮圧→「市民の権利」は白人フランス人男性に限られていた点を露呈
ナポレオン支配に対するスペイン反乱(1808)→ラテンアメリカ独立の契機(1811年、シモン=ボリバル指導によるヴェネズエラ独立→大コロンビア→エクアドル、コロンビア)「植民地支配」と「西洋文明」
https://en.wikipedia.org/wiki/Napoleon
https://www.iwanami.co.jp/book/b629853.html
皇帝ナポレオンと、ハイチ革命の指導者
トゥサン・ルヴェルチュール 『ハイチ革命の世界史』より
「一八世紀末、カリブ海の島で黒人たちが立ち上がり、自らの手で史上初の奴隷解放を達成した──長く忘却されてきたハイチ革命は、いまや近代史の一大画期だと認識されている。半世紀に及ぶ著者の研究をもとに、反レイシズム・反奴隷制・反植民地主義を掲げたこの革命と、苦難にみちた長いその後を、世界史的視座から叙述。」(出版社HP)19世紀前半:ラテンアメリカ諸国の独立
ヨーロッパの啓蒙思想の影響も
出典:浜忠雄『カリブからの問い』
ポルトガルからのブラジル独立(1821-23)
国旗に描かれた「秩序と進歩」:フランス社
フランス植民地ハイチの黒人比率
会学者オーギュスト・コントに由来植民地出身「クレオール/クリオーリョ」による独立運動
シモン・ボリバルと「大コロンビア」
(1811-1819/1830) 1818年独立のチリ元首ベルナルド・オイギンス ---